あるアデプトの休日
自分めがけて振り下ろされてくるグレートアックス……だが相手の動きは遅い。余裕を持って避け、斬り返す。それによって、相手は沈黙した。これで、もう敵はいないはずだ。ふっと、力を抜く。そんな瞬間を狙ったかのように周囲が突然騒がしくなる。大勢の人が歩き、話す音……囲まれてる？！
瞬間、体は跳ね起き、右手には剣を握っている。鞘から抜いてないのはご愛敬。
「あれ？敵は」
自分を見下ろすとベッドの上でパジャマ、窓からはお日様の光が燦々と降り注いでいる。外から響いてくる街の喧噪。どうみても、うららかなな朝だ。状況が掴めずしばし沈黙。しかる後
「もしかして夢か？」
それまであった凛々しい戦士の表情から力が抜ける。ふにゃっとゆるんだ顔は意外に幼い。普通の格好をして歩いていれば13歳ぐらいの普通の女の子に見えることだろう。彼女はノエルと名づけられたヒューマンの少女だ。知り合いに言わせると正義感旺盛な子供らしい。本人は本気で拒否するだろうが、彼女の知人の統一見解である。
「いやだな、何で夢の中でまで殺し合いをしなくちゃいけないんだ。心が荒んできてるのかな」
と、そこでふと、いつも横から飛んでくるからかいの声が聞こえないことに気付く。
「珍しいな、ミ……」
当然そこには誰もいない。そうだった、彼は自分を放って置いて旅に出たのだった。一緒にいると甘いことを囁くわりに行動は結構大雑把。やっぱり女だったら誰でも良いのだろうか。なんぞと、うじうじ考えつつ着替えを始める。それでも、ちゃかちゃかと着替えをして食事をとりに降りる。
（まあ、まとわりつく相手がいないというのも清々して良いな。）
でも、少し寂しそうに見えたりもする。
食事を作ってくれる女将さんと談笑しつつ、ゆったりと食事をとる。旅の間には絶対にできない贅沢だ。女将さんも、此の時間帯は暇なのか、彼女を娘のように思っているのか、気楽なかんじで話に付き合ってくれる。ゆったりとした時間を終えて、さて次は何をしようかと考がえる。特に予定はない。すぐに仕事を捜さないと行けないほどお金がないわけでもない。
「じゃあ、私は散歩に行ってくる」
「何かくれるって言っても、知らない人について言っちゃダメだよ」と、女将さん
ちょっと苦笑しつつ「私はこれでもソードマスターだ。ある程度ならなんとかできるよ」
「そういえば、そうだったね。すっかり忘れていたよ」と、朗らかに笑う
複雑な心境を隠しつつ「じゃあ、行ってくる」と、挨拶。
そう言って私は散歩に出た。ここは、富と商業の街トラヴァー。いつでも、店頭からは値引き交渉の威勢の良いかけ声が響き、住人は皆寸暇を惜しむように早足で歩いていく。いや、住人だけではない。どう見ても旅の者に見える人まで忙しく足を動かしている。きっとつられてしまうのだろう。ノエルは、いつも此の光景に圧倒される。別段田舎町から出てきたわけではないが、このような種類の勢いのある街ではなかった。もちろん、トラヴァーの人間がノエルの生まれ故郷である、ヘイブンの街へ行けば、別の意味で圧倒されることになるのだろうが……。それと、もう一つ、此の街にはきらきらした武具を身に纏った者が多い。それも、貴族の着るような装飾過多の飾りではなく、一級の刀鍛冶の鍛え上げた武具だ。こんな街にいると、自分が貧相な小娘のような気がしてくる。
まあ、それはともかく。店を冷やかしていると見たこともないような物が売っていて楽しい。貴族がつけるような宝石も売っているし、丁寧な装飾の施された腕輪、果ては用途不明の謎の覆面まで。見ていて飽きる事がない。一番意外だったのは武器屋で銀をよりあわせて本体を造って、そこに白や青や紫色の宝石がついているイヤリングを見かけた時だ。宝飾店で売る方が似つかわしいのに無骨な武器に並んでいた。しかも、値段は銀貨3000枚。店の人にこれは何かと尋ねたら、「じょーちゃんには必要ないもんだ」とか言われてしまった。結構悔しい。後でアルマにでも訊ねたら教えてくれるだろう。
そんな風に店を冷やかして歩いているときに一人のトロールの少女と出会った。彼女は安物の服を着てはいるが、しっかりと清潔に保たれた服を着ている。そして、ぐしぐしと泣きながらとぼとぼと歩いていいる。忙しげに歩く町の人は気にもとめない。彼女の身なりがもっと良ければ声をかける者も幾ばくかはいるのだろうが……
「どうしたの？」
当然のようにノエルは声をかけた。困っている人を放って置くわけには行かない。そんな義務感に燃えているかどうかはわからないが、優しく声をかけた。
「あにょね、ねこちゃんぎゃね、いにゃくなったの」
たどたどしいスローリック――ドワーフ語――で返事を返す
「猫か。じゃあ、私も一緒に捜すよ」
と、心持ちゆっくりと言葉を返す。その言葉にパッと顔を輝かせる女の子
「ありがちょー、おねえたん」
と、安請け合いしたところで猫が見つかるわけでもない。せめて、ノエルが獣使いであれば状況も変わったのかもしれないが彼女はただの剣匠だ。知り合いの獣使いであるイザークも今頃は旅の空だ。フィロメラという名前の此の少女は安全な通りは一通り見て回ったと言っている。そこで諦めて帰ろうとしているときにノエルと会ったらしい。駆け出しとは言え、本物のアデプトが一緒にいれば危険な裏路地にも入れると喜んでいるわけだ。もちろん、大都市の路地裏なんぞそれなりの腕を持った人間でも危険である。少女達に、そこまで考えろと言う方が酷であろう。かくして路地裏の探索が始まった。裏路地は昼間だというのに、まともに光も射さず地面はゴミが大量に落ちている。更にどこからか、視線が常に刺さる。フィロメラの服装が貧しいとは言え、ここに住んでいるものに比べれば充分豪華に写る。そんな場所だ。
「お、あれじゃないのか」と、ノエル
「ミュリエルちゃんは、もっちょかわいいでしゅ」と、フィロメラ
とそんな事を繰り返している二人。そんな二人に声をかける人影が一つ
「おや、こんな薄汚れた路地裏で麗しい天使がお二人、何をなさっているんですか？」
その男は背中に楽器を背負い腰にはブロードソードを差しているトウスラングだ。そして、明らかにアデプトである。
「何のようだ？」と、剣に手を添えるノエル。いつでも斬れる姿勢である
それに気付いていないかのように男はゆったりと答えた
「私にはレディーに向けるような剣は持っていません。驚かせたのであればすいませんでした。美しい女性の方が似つかわしくない場所にらっしゃるので、何か助力ができるかと思い声をかけた次第です」と、優雅に一礼
ノエルは嫌みかと考えないでもないが、皮肉を言ってるようには聞こえない。言葉にこめられているのは賞賛の響きのみだ。きょとんとするフィロメア。そんな少女に向かって同じ内容をトロール語で繰り返す、トウスラング。顔を赤らめるフィロメア。場所が場所でなければ非常にほのぼのとした光景である。さすがに、そこまで単純なじゃないノエルがあきれながらも更に問う。
「で、誰だ？ 会ったこと無いと思うけど？」
「初対面のレディーに自己紹介を忘れるとは失礼致しました。私は吟遊詩人のディシプリンについている、ファルムーンと申します。よろしくお願いしますね」
そして、ファルムーンは、あなたは？と言う感じで微笑む。こんな怪しげな男の癖に印象は悪くない。
「ああ、私はノエルで、この子がフィロメアだ」ディシプリンを言わない辺りがちょっと警戒。アデプトであると気付いているはずのファルムーンも特に突っ込まない。
「それで、何をなさっているんですか？いくらアデプトがいるとは言ってもこの辺りは女性二人で歩くのは危険ですよ」
「猫を捜してるんだ」
「猫……ですか？」
「知らないのか、もこもこした毛皮を持っていてこれぐらいの大きさで……」
と、必死に説明しようとする、ノエル。それを制して苦笑しながらファルムーンが話す。
「いえ、それは知っていますが。何もこんな危険な場所で捜さなくても……」
ちょっと、悲しそうなフィロメア
「この子の飼い猫なんだ」
「そう言うことでしたら、私も協力させていただきます」
警戒と遠慮から断ろうとするノエルを手で制してファルムーンが言う
「困っている女性を見捨ててしまうと、私はその時の後悔の念で一週間は眠れなくなってしまいます。私を不眠症にするおつもりですか？」
とても楽しそうである。
「それじゃあ、悪いが手伝って貰おうな」
「ええ、レディーの意のままに」と、再び一礼
そして、珍妙な3人パーティーの捜索が再開される。猫はいるが、探している猫は見つからない。
ファルムーンが街頭で演奏して人を集めて、その辺の人に話を聞いて、やっと情報が拾えた。
「その猫だったら、さっきそこの塀の所に引っかかっていたんじゃないかな」
猫の癖に……と、二人のアデプトが思った瞬間、フィロメラが叫ぶ
「ミュリエルちゃんだ！」
礼もそこそこに立ち去る三人。喜び一杯の顔をした少女に先導される、それはどうだろうと言う顔のアデプト二人。なかなか見られる光景ではない。そして、言われた場所で塀に引っかかっている猫を発見し、無事救出。飛び上がって喜ぶ少女が二人、それをにこにこと見つめるファルムーン。ふと、そんな視線が気になったのか、恥ずかしくなったのかノエルがファルムーンに問う。
「どうしたんだ、人の顔を見て」
「いえ、可愛らしいな、と思いましてね」
子供っぽいと馬鹿にされたと誤解したノエルが烈火のごとく怒り出す
「どうせ、私は子供っぽいさ。でもな、嬉しいんだから、それ喜んで何が悪いんだ！」
「落ち着いてください。本当にあなたのことが美しいと思っただけですよ」
「何を言ってるんだ。私ぐらいの顔ならいくらでもいるじゃないか！」
「表情など、所詮は器にすぎません。内面の美しさが外側ににじみ出し、その人の美しさを引き立てるんですよ」と、落ち着いた声で喋り続ける
「お世辞を言っても何もでないよ」ちょっと赤面。照れてるらしい
「お世辞ですって？私は仮にも吟遊詩人のディシプリンにつくもの。真実を世界に広めることこそ自分の道だと心得ています。そんな私がお世辞なんて言うと思いますか？」
相手の瞳をじっと見つめながら言うファルムーン
「ええっと……恥ずかしくないか？」
「特には。もし、これが恥ずかしいのでしたら、世界のどこかがおかしいのですよ。私は目に見える本当のことしか言いませんから」
二人の世界が……と行くほど世の中は甘くはできていないらしい。周囲にちんぴらどもが大挙している。目立つことをした為に集まってきたのだろう。フィロメアは、怖いのかノエルの裾をしっかり掴んでいる。
「よう、にいちゃんら。良い身なりしてるじゃねぇか。俺達にもその幸運を分けてくれねえかな？」
と、ぎらぎらした目をしたちんぴらが言う。数は多いがこちらにはアデプトが二人。倒せない数じゃない。そう思ってノエルが剣を抜こうとした瞬間、ファルムーンが喋り出す。
「この程度の人数で俺達を脅すつもりか？なかなか楽しい冗談を言ってくれるな。そいつが可能なんだったら、ナイフでグレートドラゴンを料理するのも夢じゃないな」
言葉に魔力をこめて、ファルムーンは喋り続ける
「お前ら、本当にこの方を知らないのか？此のお方はかの伝説に名高いキージェルの剣の使い手、次期<評定戦>の有力馬と言われている名高きソードマスター、ノエル様だ。ここまで言われてもまだ思い出さないのなら。命を代価にする覚悟で剣を振るうんだな。さあ、好きなようにしな」
自信に満ちた声のはったり、その上に魔力まで乗せている。更に良く状況を把握していないノエルの表情が、余裕を持った笑みに見えたのかちんぴらどもは明らかにまごついている。困っているのはノエルも一緒だというのは秘密である。
「ファルムーン。とりあえず、斬って突破しないか。」
「それは、構いませんが面倒じゃありませんか？」
これが決定打となったのか、ちんぴらどもは蜘蛛の子を散らすように逃げ散った。良く状況を掴めていない女性が二人。片方は困惑に支配され、もう一方は喜び一杯の顔をしている。
「おねえたん、すごいんだー」と、嬉しそうなフィロメラ
「そんなことないよ」と、困惑するノエル「とりあえず、帰ろうか」
何はともあれ、帰路につく三人組。その途中ノエルがやっぱり納得行かないと言う顔でファルムーンに訊ねた。
「なんで、あんな大嘘ついたんだ？ 私はキージェルの剣なんて知らないし、伝説に歌われるほど凄い人間じゃ無いぞ。それにさっき本当のことしか言わないと言わなかったか？」
「うそも方便というヤツですよ。それに、あなたはそのうち伝説に歌われるアデプトになるんですから、あながち嘘でもないでしょう」
「良く知りもしないで、良くそんな大口がたたけるな」ちょっと、あきれ気味
「当然のことですよ。女性には幸せになる義務がありますからね。あなたは、嫌でも有名になってしまうんですよ」と、当然のように無茶を言う
「おい、」
と、ノエルが何か言いかけた瞬間、曲がり角から一人のウインドリングの女性が飛び出してきた。そして、威勢のいい声で喋り始めた。
「ファル、こんな所でナンパしてる場合じゃないでしょう。もう、あんまり時間がないんだよ」
ちょっと、驚き顔ながらファルムーンも言い返す
「ナンパですって？困ってる人をアデプトとして見捨てられなかっただけですよ。そう言うアリシアさんこそ、何か進展はあったんですか？」
そんな非難を意に返さずアリシアと呼ばれた女性は更に言い返す。
「良いから行くわよ。ごねるんなら……」
と、アリシアは右手を振りかぶるような動作に入る。それに、ダイレクトに反応するファルムーン。たかだか、ウインドリングの素手の拳のどこを恐れる必要があるのか分からないが、ファルムーンは慌てて相変わらず状況の掴めない二人に向かって、言い放った。
「困ったことに仕事の続きをしなければなりませんので失礼いたします。最後までエスコートできないご無礼をご容赦くださいませ」と、軽く頭を下げて立ち去っていった。
一瞬呆然としたものの、子供を連れて帰らないといけないために、ノエルはすぐに我に返り歩き始めた。夕焼けに染まった美しい喧噪の方を目指して。
（ミューがいなくても結構楽しいじゃないか）ふと、そんな事が心によぎるノエル
「おねえたん、なにかいやなことでもあったの？」それを見て、不思議に思ったのか訊ねるフィロメア
「ううん、なんでもないよ」
そうして、二人は笑顔で別れた。
それから一週間ほどした後、心優しきソードマスターのバラッドが巷に流れることをノエルは知らない。もちろん、それを聞いたアライアンが悔しがることなど想像すらしていない。