ある盗賊の愛多き一日


 すえた臭いが立ちこめ、街路にはゴミが溜まり、多くの家は崩れ落ちかけている。知らない者が見れば、ただの廃墟にしか見えないだろう。一見したところ、人通りも……いや、一組の男女が道を歩いている。一方はこんな街には似つかわしくない童顔の少女である。だが、よく見れば鎧と剣で武装し、その武具は使い込まれていながらも丹念に手入れされている。男の方は赤毛の優男だが、その表情は周囲への警戒心を露わにしている。
 剣匠のノエルと盗賊のミューである。二人ッきりの婚前旅行……と言うわけではない。ホラーに取り付かれたある女性のことを調べるために彼らは此の街へと足を運んだ。此の街であれば、ヘイブンの片隅で囁かれた噂話ですら、金によって手に入れることができる。バーセイブ全土の情報、物資を商う街、伝説の盗賊、片目のガールシク治めし盗賊都市クラタスである。
 盗賊の治める街と言えば、油断をすれば死体となり、道端では抗争が絶えず、世間からはみだしたごろつきどもしかいない。そんな印象を持たれているだろう。それはある一面としては真実である。大金を無防備に持ち裏路地に入れば恐らく再び日の目を見ることはない。だが、そのような愚かなことをせず、適度な警戒心をもち、金目の物を見せびらかさなければわざわざそれを襲う者はいない。なぜなら、それは非合理的なことだからである。儲ける為に何でもやると言うことは、儲けがなければ何もやらないと言うことである。争いというのは横で煽れば金になるが、自分で行うにははなはだ非経済的な物である。結局は、そう言うことだ。もちろん、理由はそれだけではない。かつて此の都市は盗賊団同士が互いに潰し会うデンジャーゾーンだった。だが今では曲がりなりにも都市としての機能を持っている。つまり、商人達のような”まっとうな”人々も暮らしているのだ。もし、彼らを攻撃すればどうなるか? そう、彼らは手を引き以前の不便な生活に逆戻りするのだ。その為に堅気の者には手を出さないという不文律がある。もちろん、ガールシクの睨みが効いてることも無関係ではあるまい。
「なんか、嫌な感じだな」
 ぼそりとノエルが呟く。周囲に立ちこめる腐臭や汚物の臭い育ちの良い者なら卒倒するかもしれない。
「そう言えば、ノエルは箱入りだもんな。こういうのには馴れてないか……」
 少し悲しげに呟くミュー。
「箱入りかどうかは知らないけど……此の悪意のこもったような視線がちくちくと刺さるのが嫌だな」
 静かに目だけで周囲を探る。のほほとんした顔をしていても何も考えていないわけではないようだ。
「ああ、そっちか。まあ、確かに嬉しいもんじゃねえけど馬鹿なことさえしなければ手を出してこないし……相手の技量をちゃんと見極めれるようなのが多いから逆に安全だよ」
 と、比較的馴れた感じのミュー。
「そうなのか……あれ? こっちかってことは、もしかして、私が気にしてるのは此の臭いとかの方だと思ってたの? 確かに良い匂いじゃないけど、都市の裏町はどこでもこんな感じだし」
「ま、気にならないならいいけどな……ああ、あった、ここだ、ここだ」
 と、入り口に「BAR女神の灯火」と看板のかかっている古びた店に入って行こうとする。
「ミューここは?」
 少し怪訝そうな顔をして訊ねるノエル。ミューは予定など一切説明していないのだろう。
「ああ、知り合いのやってる店だ。専門は情報の人なんだ」
「ふーん、そういう人がいるんだ」
 子供時代を両親の保護の元で幸せに暮らした少女にとって、世界の暗黒面など知らずに済むことなのだろう。もしかすと、専門が情報と言う言葉を近所の物知りおばさん程度に認識しているのかもしれない。
 古びた立て付けの悪い扉を開き中へとはいる二人。中は外と違い、手入れが行き届いた部屋である。数人の酔客……と言っても酔いつぶれている者などはいない。皆おとなしく飲んでいる。外を見ていなければクラタスではないと思ってしまうかもしれない。そんな場所だ。
「ノエル、ちょっとここで待っていてくれ」
 ノエルには今一つ状況が把握できなかった。何故、私が待たないと行けないんだろう。私がいると余計なことを言ってしまうからだろうか。それとも、私には言えないことをするのだろうか。そんなことをつらつらと考えながらミューを待つことにした。とりあえず適当な椅子に腰掛け、食事を頼み始めた。ちらちらとミューに視線を飛ばしながら。
 その一方、ミューは全く迷いもみせずにカウンター席の方へと歩いていった 。自然とその先を目で追うノエル。そこでは、露出度の高い服を着た肉感的な赤髪のヒューマンが悠然とくつろいでいる。
 ノエルの視線に気付かず、もしかすると気付いているにも関わらず、ヒューマンの女性はミューにしなだれかかり、首に手を回していたりする。当然ながらミューもまんざらではないような顔をしている。そして、ミューが何か訊ねると、女性はまるで秘め事でも言うかのようにミューの耳元に唇を寄せ、微笑みながら何かを囁いた。
 ノエルには、その女性がとても魅力的に映った。そして、自分がひどくみにくいような気がした。
 ノエルが、そんな可愛らしい自己嫌悪に浸っている間にも、二人はいちゃつき、女性は微笑みながらミューの懐に何か紙切れを忍ばせた。ミューも気付いているが特に何かするつもりもなさそうだ。
 ノエルにはその笑みさえ自分に対する嘲りの笑みに感じられる。そして、そんな感情を抱いている自分を放っているミューがひどく薄情に感じられた。もちろん、自分でも理不尽な感情なのは分かっているが、知で情を抑えることができず、その感情はじわじわと強くなっていく。そして、それに耐えられなくなったとき、彼女はスッとと立ち上がり、ミューへと近づいていく
「ばかー!」と、鉄拳一閃。そして、疾走。
 殴られた浮気者は、状況を全く把握していないのか唖然としている。ヒューマンの女性は面白い物でも見たかの様に爆笑している。そして、一言。
「ミリア、さっきの彼女?」
 そう言われるとミューは憮然とした顔をさらに嫌そうにゆがめて答えた。
「そんなもんだよ」
「ダメよ、彼女の前で他の美女といちゃついたりしたら。特にあんなに可愛らしい彼女の前ではね」
 そう言いながら、笑い続けている。その辺りで、ミューもやっと事実に気付いたらしい。そして、怒声。
「イリューシャ……お前、あいつに何かしただろう!?」
 イリューシャは、ころころと笑いながら言い返す。
「あら? まるであたしがタレントを使ったような言い方やめてよね。ちょっと、曰くありげに動いて、微笑んだだけじゃないの。”普通”の行動よ、普通のね」
 そこで、ミューが平手を打つ。パン!と言う乾いた音が酒場に……響かない。いつのまに敏捷な動きでその攻撃をかわしている。
「あら、怖い。ダメよ、女性に手を挙げちゃ。フェミニストなんでしょう、ミ・リ・アちゃん♪」
 そこで、ミューはより重要なことを思い出したのだろう。突然、扉に向かって走り始めた。それをみたイリューシャが最後に真剣に声をかける。
「最近は、あなたがいた頃と違ってブローチャー一味が確実に力を付けているわ。あいつらは、盗賊の仁義も持たない連中だから、気をつけなさいよ」
「ありがとよ」
 ブローチャー一味について説明するにはクラタスの歴史から説明する必要がある。セラ戦争以前クラタスは真の無法地帯であった。毎日血の抗争が繰り返され、一般人はそこの近寄りすらしない。そんな街であった。だが、そこに一人のオークの盗賊が訪れ抗争を繰り返していた盗賊達をまとめ上げた。そのオークの盗賊こそ、パーレインスを此の世界に帰還させた、かの名高き片目のガールシクである。ガールシクは此の街を愛しており、より発展させたいと望んだ。その為に手を組む相手がたまたまスロールであった。もちろん、かつての旅の仲間がスロールの重鎮となっていたことも無関係ではあるまい。その結果、スロールはセラ戦争のおり、強力な諜報部隊を手に入れることになる。これが、ガールシクの果たした役割である。そして、此の友好関係も危ういバランスではありながらもいまだに続いている。そして、いまだにガールシクの眼が睨みを利かしている範囲ではそれなりのルールが護られている。そうでなければ、盗賊達も文化的な生活を送れないからだ。ましてや、都市の発展など望むべくもない。だが、最近ガールシクに従わぬ一団が頭角を現しだしている。それこそがブローチャー一味である。彼らは忌まわしき<鮮血の森>の堕落したエルフであるヴィストロシュに率いられ、奴隷売買の為の市場すら運営している。そして、構成員の多くは暗殺者であり、邪魔な者は迷わずに処理するという、リーダーの性質を色濃く現した組織である。そして、構成員はみなヴィシュトロシュ個人に忠誠を誓うという一枚岩の強力な組織だ。そして、彼らの最終目標はガールシクの死であり、クラタスの支配である。その為に水面下での抗争が数多く繰り広げられている。
 何はともあれ、ミューは走り出した。だが、ノエルの行きそうな場所の見当もつかない。当然だ、彼女は土地勘がない上に、彼女好みの店で気を紛らわせてるとしてもそんな店は此の街にはない。そこで、ミューは足で捜すことにした。また、同時に口で。
「おい、兄さん。童顔なのに似つかわしくないほど良い武装をした女の子見かけなかったか?」
 と、ちんぴら風の3人組に声をかけるミュー。
「おいおい、それが人に者を訊ねる態度かい? 何か聞きたきゃ……」
 最後まで言わぬうちに、彼の視界からミューの姿がかき消える。そして、「あ」と思った瞬間喉元に感じる鉄の感触。
「礼儀を忘れていたな。これで満足か? で、みたのか、みてないのか?」
「て、てめぇ、俺にこんな事して……」
「これが最後だ。答えがなければ別のヤツに聞く。で?」
 ちんぴらは不本意そうに口を開いた。
「……たぶん、あっちに走っていた女だと思うぜ」
 そして、その男を突き飛ばし、再び疾走。後に残るは一言のみ。「ありがとよ」と。
 ミューがそうやってクラタスを疾走している頃、ノエルはと言うと比較的落ち着いた雰囲気の酒場で吟遊詩人の歌うサーガを聞いていた。
「ディラックは、渾身の力を込め自らの剣を振り下ろす、されど、敵はホラー、その渾身の一撃も避けられ、逆撃を受ける。その一撃はディラックの腹を破り滝のような血を流す。ディラックは薄れゆく意識の中に現れたデスに懇願した。どうか、私の命を此のホラーを殺すまで引き延ばしてください。此のホラーは私の村を滅ぼし数々のケーアを滅ぼすでしょう。どうか、その代価を支払わせてください。そう、懇願した。それを聞いたデスは冷たく凍るような笑い声をあげ、こう呟いた。よかろう、我に直接交渉するその剛胆さに免じ、そのホラーの魂を共連れに我が王国の門を叩くことを許そう。その瞬間ディラックの肉体に活力が蘇り、魔法の力が満たされた。その全てをそそぎ込み彼はホラーに斬りかかった。すでに殺した犠牲者が十全の状態よりも鋭い攻撃を放ってきたのだ。さすがのホラーもその攻撃を避けられず、真っ二つに引き裂かれた。そして、断末魔の呻きと共に醜悪なる骸と化したのだ。その一撃を放った直後ディラックも、糸が切れた人形のように大地に倒れ伏した。そして、彼が再び立ち上がることはなかった。かくして物語は終わりぬ。それこそがものの真理なれば」
 そうして、優雅に一礼。酒場には拍手が溢れかえる。ノエルも途中から魅せられたように聞き入り、今は必死に拍手している。魔力をこめた吟遊詩人の歌と演奏は人の心を癒やす。たとえ、それが一時のことであっても。そのトウスラングの吟遊詩人がふと、ノエルの顔で視線を止める。そこで、一瞬何かを思い出すかのような顔をした後ノエルに声をかけた。
「ノエルさんじゃありませんか? お久しぶりですね」
 必死で記憶を探るノエル。……しかし、でてこない。と言うか、いまだにトウスラングの顔を見分けるのは苦手である。さすがに、よく一緒にいるイエルギスとその他のトウスラングの見分け程度はつくが……
「ファルムーンですよ。以前トラヴァーで一緒に猫を捜した」
 そこで、目の前のトウスラングと以前世辞を並べ立てていたトウスラングとが一致した。
「ああ、あの時の。久しぶりだね。どうしたの、こんな所で?」
「飛空船の護衛をしてこっちに来ましてね。今は骨休み中ですよ。あなたは?」
「……捜し物、っていうかそのお供かな?」
 怪訝そうな顔をした後、ファルムーンはにこやかにノエルを誘う。
「まあ、ここであったのも何かの縁ですし、食事でもどうですか? それなりに美味しい店が何店かあるんですよ」
 それ聞いて迷うノエル。その迷う姿はファルムーンに対して不審の念を抱いていると言うよりも誰かを気にかけて困っているかのようだ。
「何があったかは存じませんがあなたに冷たい相手ののことなど放っておいて少しは気を休めませんか?」
「な、なんでわかったの?」
 と、露骨に慌てるノエル。
「目を真っ赤にして沈んだ顔をしていればイヤでも気づきますよ」
 と、のんびりと微笑むファルムーン。
「え? じゃあ、演奏中に入ってきた私のこと気づいてたの?」
「もちろんですよ。 魅力的な女性というのはどういう状況の中でも目立ちますからね。一目で気づきましたよ」
 ちょっと、顔を赤らめながらノエルが無理矢理のように返答する。
「そ、そんなことよりも美味しいお店行こうよ」
「そうですね、話は店に着いてからでもかまいませんからね」
 そして、連れだって出て行く二人。道すがらファルムーンは古い古い伝説から自分の仲間のことなどやくたいも無い話でノエルの気を和ませていく。また、ノエルの方もなまじよく知らない相手であったからこそ気楽になれたのかもしれない。そんな風にたわいもないおしゃべりをしながら二人は落ち着いた感じの店へと入っていった。
「何か嫌いな物はありますか?」と、ファルムーン。
「特にないから適当に頼んでくれたらいいよ」
「では、そうさせていただきますね」
 一方そのころミューはというと。まだ、町を走り回っていた。ノエルは見つからず不安感ばかり募っていく。
(あいつはなんだかんだ言っても世慣れてないからな、変な男にだまされてなければいいが……)
 そんな所にある酒場でノエルの消息を尋ねたミューは、ある有力な話を聞くことになる。「ああ、その子だったらトウスラングの吟遊詩人にナンパなされてどっかに行ったぜ」
 そして、ミューの怖い想像は着々とエスカレートしていくことになるのだった。
 まあ、何はともあれ悪漢に捕らわれて助けを待っていると思われているお姫様ことノエルに視点を戻す。
「そう言えばお酒は大丈夫ですか?」
 と、メニューを見ていたファルムーンが尋ねる。それに対してノエルはしれっと答える。
「うん、好きだよ」
「では、飲み物は選んでくださいね」
「私、あんまりよくわからないから飲みやすいの頼んでくれるとうれしいんだけど」
「わかりました。では、この辺で」
 しばらく雑談しているとファルムーンが頼んだであろう、食事の数々が出てくる。この店の店主はトウスラングにコネでもあるのかトウスラングの香辛料を使った魚が出てくる。もしかすると、これがあるためにファルムーンはこの店を気に入ったのかもしれない。その魚料理は香辛料がよくきいており辛いぐらいであるがそれをはふはふ言いながら食べるのがまた格別の味わいである。そして、口の中の辛さを抑えるためなのか酒は甘く軽い。それもまたノエルの舌によく合い食は進んだ。だが二人とも知らないことではあるが、否、ノエルは自覚していないことだがノエルは鳥並みに酒に弱い。食事しながら、軽い酒だというのに着々とノエルの目つきが危なくなっていく。ファルムーンも気づいているようだが特に気にする様子もない。もしかすると、普段の仲間の飲み方と比較して大丈夫だと判断しているのかもしれない。たわいもないおしゃべりの中食事が進行していく。そんなときに良い感じに酔ったノエルが何かに耐えかねたように尋ねた。
「なんで、泣いてたか聞かないんだね」
「ええ、聞きませんよ。」さらっと答える。
「……こんな見も知らぬ可愛くもない小娘が目を赤くしてるぐらいどうでもいいってこと?」
 静かな怒気を込めてノエルが尋ねる。怒った口調とは裏腹にその表情は不安、おいて行かれるかもしれない時の子供のような不安そうな表情をたたえている。それを見てファルムーンは自分の言葉が足らずに少女を傷つけたことに気づいたようだ。そこで再度口を開く。
「どうでもいいのでしたら食事になど誘いませんよ。無理に聞いてあなたを傷つけたくありませんでしたし、口に出せば軽くなるような悲しみだけではありませんからね。ですが、今は聞いた方がよろしいようですね。もし、よろしければお聞かせ願えますか、あなたの顔から喜びの太陽が消え、悲しみの川が流れていたわけを」
 そう、それまでと同じようないたわるような声で尋ねた。それに導かれるように、酒の助力もあるだあろうが、ノエルが口を開く。
「誰かを好きにあったことってある?」
「もちろん、人並みには。まぁ、たいていはうまくいきませんでしたがね」と、軽く笑う。
「なんで?」とっさにと、言うかんじで問い返す。
「さて、私が自分を振ったわけではありませんので詳しくはわかりませんが、言われた言葉としてはとさかの色が気に入らない、という物からどんなに女性にでも優しくするから信用できないという物まで色々ありましたよ」
「そうだよね、誰にでもちょっかいかけるのって信用できないよね。やっぱり、顔が綺麗だったり胸が大きい人の方が良いのかな?」
 微妙に暴走気味のノエル。気にせず楽しそうな顔を崩さないファルムーン。
「さて? 私はあまり見かけを気にしませんから。鮮血の護符や幻影魔術で見かけなど動とでもなりますし、結局は中身ではありませんか?」
 至極まっとうな正論を吐くファルムーン。だが彼は本当にそう思ってるのかもしれない。さもなければヒューマンのノエルにちょっかいをかけたりしないだろう。もちろん、ただの善意という可能性もあるが……それは彼の心の内の話である。
「そうだよね。じゃあ、私みたいにわがままで頭が悪くて自分のことしか考えてない女は駄目だよね」
「あなたが本当にそんな人であれば、そうでしょうが。私にはあなたがそんな人には見えませんよ」
「よく知らないから、そんなこと言えるんだよ」
「私は本質を見抜きそれを世界に伝えるのを道とする吟遊詩人ですよ。その私が保証しますよ。あなたは自分で言うような人じゃありませんよ。心優しくて他人を思いやることのできる優しい女性ですよ。自信を持ちなさい剣匠のノエル」
 その言葉に魔力を乗せ励ますファルムーン。しかし、それでもノエルは落ち込んだまま。
「そんなこと無いよ。だからミューもあの女とうれしそうに私の前でいちゃついてたんだ!」
 怒気もあらわに叫ぶノエル。周囲の客は驚いているがファルムーンはどこ吹く風と平然と言葉を返す。
「本当にそのミューという人は喜んでいましたか?」
「喜んでいたよ、私みたもん」
「女性ばかりを見ていませんでしたか?」
「……」
「そして、そんなひどいことをする人なのですか?」
「……違うと思う。ミューはいつも優しい」
「では、一度ゆっくり話してあげたらどうですか? それぐらいの機会をあげないと可哀想ですよ」
「可哀想?」と、ノエルは不可思議そうに尋ねた。いったい何が可哀想なのだろうかと。ひどい目に遭ってるのは自分なのではないかと。
「ええ、可哀想です。こんな愛らしい女性に自分が振られた理由も知らないなどと言うのはね」
「振る? 私が?」
「そうですよ。もし、その人が本当にそんなろくでなしで、あなたがそう確信したのであれば生ゴミのように捨ててやれば良いんですよ。女性にはそうする権利がありますからね」
「で、でも……」
「まあ、結論はゆっくりと自分で出してください。ちょうど良い所で噂の主もいらっしゃったようですしね」
「え?」
 そう言うと同時に扉が開き赤毛の盗賊が汗だくで目を血走らせて入ってきた。
「な、なんでわかったの?」
「秘密です。あえて言うなら吟遊詩人の勘というやつですね」
 などとほざくファルムーン。実際には必死の形相で走るミューが窓から見えただけのことである。
 そんなほのぼのとした会話を交わす二人を見てずかずかと近寄ってくる。そして、一声。「ノエル! 危ないだろう」
 そして、ぐいっと自分の方に引き寄せ、胸に抱きしめる。突然の状況に一番慌てたのはノエルだ。
「な!? 馬鹿何やってんの、離してよ!」
 そして、必死にもがくが非力な上に酔っている女性では抱きしめてる男を引きはがすことができない。それを見たミューは落ち着かせようと手をゆるめた瞬間、ノエルの手が絶妙なタイミングでミューを突き飛ばす。さすがに、それには耐えられずミューも転倒する。
「ミューがいけないんじゃない、突然変なことするんだから、べーだ」
 そう言った後、椅子に手をかけ腰掛けた。否、腰掛けたつもりであった、だが性悪な椅子はノエルの手の中にはなく必然的にノエルはバランスを崩し転倒した。それに駆け寄るファルムーンとミュー。そんな男どもの心配をよそにノエルは眠れる姫とかしていた。
「ミューが悪いんだからね……むにゃむにゃ」
「完全に寝てるな……」
「そのようですね」
 呆然と寝顔を見つめる二人。先に我に返ったのはミューだった。そして、取り繕ったようにドスのきいた物騒な声色で詰問する。
「で、お前は何なんだ?」
「何、かわいらしい女性が涙で頬をぬらしていたので慰めていただけですよ。駄目ですよ女性を泣かしては」
 それに対してミューはしかられただだっ子のように答える。
「俺だってな……」
「……と、どうやら変なお友達がついてきたようですね。ノエルさんを連れて裏口から逃げてください」
「おい……」
「無駄な争いは好まないでしょう? あなたがいなければ適当にあしらいますから。早くノエルさんを連れて行ってください」
 あくまでマイペースを崩さないファルムーンに対していらだちながらも相手の言葉の正当性を認めてミューはノエルを抱き上げ裏口から脱出していく。それを認めるとファルムーンは満足そうに笑みを浮かべ店の店主に声をかけた。
「さて、申し訳ありませんがもう少し茶番劇につきあっていただきます。つきましては舞台をお借りしてもよろしいですか?」
「ああ、かまわねーが、荒事はやめてくれよ」
「大丈夫ですよ、私の武器は剣ではありませんから」
 そう言うとファルムーンは舞台に上がりリュートをかき鳴らし始めた。 そこへ、ミューに脅されたごろつき男が駆け込んでくる。そして、怒声をあげる。
「ここに赤毛のすかした兄ちゃんが来たのはわかってるんだ、隠すとただじゃすまねーぞ」
 ファルムーンは心なしかリュートを強く奏で言葉を返す。
「確かにその男なら先ほどまでここにいましたが……追うのはやめた方が良いですよ」
「どういうことだ!」
「こんなことを言って信じていただけるかどうかわかりませんが、恐らくあの男は<デスの鍵>の一員ですよ」
「何いってやがる、そんな物はおとぎ話の中の物だろう」
「私もかつてはそう思っていました、ですが、ある事件をきっかけにその認識を改めたんです。それは……」
 リュートの音が場を支配し、ファルムーンの声が静かにこだまする。言霊に縛られた者たちは自分の目的も忘れただ静かに彼の話に聞き惚れる。
 シーンを移そう。ノエルを抱えたミューはどうにか、それなり安全な宿へと着いた。周りの視線が非常に気になるがそんなことを言っている余裕もない。そして、ベッドに寝かせ胸元をゆるめてやる。そして、脱水症状にならないように水を用意したり、ノエルの寝顔に見とれていたりするとノエルがやっと目を覚ました。
「……あれ? ミュー? ファルムーンさんは?」
「いきなり他の男の名前かよ」と、不機嫌そうなミュー。
 それに反応するかのように声を荒げるノエル。
「何言ってるのよ、ミューが悪いんじゃない! あのお姉さんといちゃついたり、いきなり抱きしめたり!」
 そう言われて腹を立てたのかミューも声を荒げる。
「何言ってんだ、いちゃついてなんか無いだろう、お前が勝手に誤解して走り出したんじゃないか!」
「じゃあ、何さ、私が全部悪いって言うの!」
「そんなことは言ってない!」
「言ってるじゃない!」
 そう言うとぷんとそっぽを向く、ノエル。それを、後ろから抱きしめるミュー。
「な、こんなことしてもだまされないんだから」
「騙す気なんてねーよ。頼むから話を聞いてくれ。あいつはイリューシャは妹だよ」
 きょとんとした顔で聞き返すノエル。
「本当に? それにしてはえらくいちゃついてなかった?」
「お前がいたからだよ。自分の兄貴が可愛い女の子を連れてたからからかいたかったんだよ」
「本当に、本当?」
「本当だって。その証拠にあいつ俺のこと本名で呼んでただろ? 本名知ってるのって、お前と家族だけだって」
 ふっと、安心したような顔をしてノエルは振り返りミューを抱きしめ返す。そして、よかったよ、と一声呟くと再び眠りに落ちた。今度の眠りは不自然な苦しそうな眠りではなく自然の眠りに近いような眠りだった。それに気づくとミューは、安心したのかノエルをベッドに寝かせ、額にキスをして、おやすみ、と呟くと部屋を出て彼もまた自室で眠りについた。
 翌日ノエルが頭痛を抱えてのたうち回るのはここでは些細なことだろう。 かくして物語は終わりぬ。それこそがものの真理なれば。