あるアデプトの悲しみ


「<書>を返してください」
 長い金髪の女性、エリザがレラに対して鋭い眼光を向ける。
 レラはじりじりと後ろに後退する。それをみて、エリザは悲しそうに再度口を開く。
「……どうしてもと言うのでしたら、力ずくでも返して頂きます」
 すっと、重心を低く下げ、拳を構えるエリザ。
 それに呼応するように周囲にいたレラの仲間達の間で静かな緊張感が走る。双方共に戦いは望んでいないのではあるが……必要とあれば容赦はしない。
 その緊迫感を霧散させたのはレラであった。彼は即座に<書>を服の下に押し込み、きびすを返して走り出した。
 一瞬あっけにとられた後、慌てて皆がその後を追う。そして、最初にエリザが追いつき、背後からタックルを仕掛ける。そして、レラを押さえ込み再度求める。
「<書>を返してください」
 そんなエリザの下でレラは必死で体を丸め<書>を死守する。
「いやだ。これを渡したらエリザはまた使うつもりでしょう? そんなの絶対に嫌だ!」
 その言葉にエリザは一瞬辛そうな顔をするが、すぐに表情を消し口を開く。
「……一度使うのも、二度使うのも変わりませんよ。早く渡してください、レラさんまで穢れてしまいますよ」
 だだっ子のようにレラは激しく首を振りながら言い返す。
「穢れても良い。エリザが一人で堕ちていくよりはそっちの方が絶対良い。それに、一人で抱え込むより絶対に二人の方が楽だよ!」
 沈黙。エリザが何か言おうとして口を開くが何も言わずにすぐに閉じる。 そんな気まずい数瞬が続いた後、後から落ち着いてきたセティが言葉をかける。
「とりあえず、エリザさん。上からどいてやったらどうかね。若い娘さんがする格好では無いと思うよ」
 エリザは、その言葉ではたと自分たちの姿勢に気づいたのか赤面して立ち上がる。
「す、すいません」
 エリザから解放されるとレラは立ち上がり、珍しく何かを思案する顔になる。
「返しても良いよ、これ」
 エリザが目に見えてほっとした顔になる。
「でも、条件がある」
「条件?」
 決然とした瞳でレラは口を開く。
「その<書>を再封印できる、その日まで、一人で何処かに行かないで。何か合った時俺が手を貸せるように目の届く場所にいて。それが条件だよ」
 逡巡するように視線を泳がせるエリザ。レラはそんな彼女から視線を外さない。そして、エリザは決意を固めたのか口を開く。
「解りました。再びあの空間との道が繋がるその時まで共にいましょう」
 その緊迫感に満ちた決意の表情にノエルは不安感を覚える。何かが違う。ボタンを掛け違っているような不安。根拠はない。だが、ノエルはその不安を言葉にする。
「あなたは今まで、全ての者を犠牲にしてきた、自分自身の人生すらも。そんな人の口約束をどうやって信じろって言うの?」
 その言葉にもエリザの表情は揺らがず、砕け散りそうな緊張感を込めた声を返す。
「……人生を犠牲にしているつもりはありませんが、そう言われても仕方ありませんね。なんでしたら、<鮮血の誓い>を立てましょうか?」
 ノエルの理性は、その言葉にうなずくことを要請している。だが、感情がそれを押し止める。この人は本当の悪人じゃないんだ、そこまでさせる必要はないんだ、と。
 そんなノエルの葛藤を知ってか知らずかレラが割ってはいる。
「そこまでする必要はないよ。俺はエリザを信じるよ」
 その言葉にエリザの表情が少し揺れる、されどその一瞬の揺らぎもすぐに取り繕われ、語られる言葉には変わらぬ緊迫感が潜み何ら変化はない。
「ありがとうございます、そう言ってくださると助かります。……ですが……」
 尻すぼみに消えるエリザの言葉、それを聞きとがめたレラ。そして、最後の言葉が聞こえたのか眉をひそめるセティ。
「え、なに?」
「いえ、なんでもありません」
 それまで、終始無言で話を聞いていたクラグが口を開く。
「なら、話は決まりだな。とにかく、そこの村に行って治療と休息をしようじゃないか」

 それから一週間は飛ぶように流れた。深手を負った者はそれを癒すことに専念し、余力がある者はドラゴンの死体の始末に取りかかった。
 存在しているだけで周囲のアストラルを汚す存在を放置するわけにも行かず炎で燃やし、燃えない部分を解体し、サンダー山脈の谷間に投げ捨てる。そんな作業を繰り返した。
 そんな、作業が一段落した夜。レラがエリザの部屋をノックした。その前に一時間程ノックをしようとしてやめると言うことを繰り返していたのではあるが。
「どうぞ」
 その言葉に機械仕掛けの人形のようにレラはびくりと反応し扉を開け部屋の中に入る。
 エリザはそちらに視線を向け微笑む。その顔にはいくつかの火傷のような傷跡が残っている。
「ああ、レラさんでしたか。どうなさいましたか?」
 珍しくおたつき、視線を宙にさまよわせるレラ。
「えっと~、少しお話があるんだけど~、あ~、いい?」
 それを、どう理解したのかエリザは頷き口を開く。
「<書>の話ですね。私は構いませんよ」
 そう言われて、レラは更におちつかなさげになる。
「えっと~、そうじゃなくて~、その~」
 そんなレラを怪訝そうに見つめるエリザ。
「その~、何て言うか~」
 エリザはいぶかしげに口を開く。
「それ程までに口にしにくい事態が生じたのですか? それでしたらなおさら、早く教えてください。被害を広げるわけにはいきません」
「えっと~、世の中はいたって平和なんだけど~」
 もじもじとするレラ。少しいらだたしそうな顔をするエリザ。
「だから、何が言いたいかというと~」
「はい」
 レラはそれまで宙に泳がせていた視線をエリザの瞳に固定し語る。
「おれさ、エリザとず~と一緒に居たいな」
 エリザの表情が凍り付く。
「えっと~、あ、そうそう、今すぐに返事しなくても~いいし~」
 その言葉に我に返ったのかエリザは強い意志のこもった視線をレラに向ける。
「いえ、今お返事させて頂きます。……お言葉は嬉しいのですが……」
 そこまで聞いてレラはきびすを返す。それを見てエリザは目を伏せる。
「うん、そう、えっと、じゃあ、これからもよろしく、夜にごめんね」
 本人は平静を保っているつもりだろうが、部屋を出ようとしてエリザの荷物につまずきすっころぶ。
「だ、大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄るエリザ。そして、手を貸しレラが立つのを手伝う。
 そして、目を合わせるのが辛いのかの様に下を向き、口を開く。
「……すいません」
 その言葉にレラはびくりとし慌てて言葉を返す。
「え、あ、いや、ううん、俺が勝手に好きになっただけだし」
 その言葉がきっかけになったのかエリザはレラを抱きしめる。
「愛しています。二度と離れたくないぐらい……でも、私は……」
 レラもエリザを強く抱きしめ、優しくささやく。
「……大丈夫だよ。きっと、みんなでやればなんとかなるって」
 少しエリザの表情がゆるむ。そして、少し体を離し問いかける。
「……そうです……かね?」
 レラも体を抱きしめていた手を一度ゆるめ、今度はエリザの頭を抱く。
「もちろんだよ~。だって~、偶然エリザと会えたし~再会もできたんだもん。これからも、なんでもうまくいくよ~。もう、エリザは心配性なんだから」
 安心したような落ち着いた声でエリザもそれに返す。
「……そうですね。レラと出会えただけでも……今までの人生に意味があったのかもしれませんね」
 手を緩めエリザの瞳を見つめながらレラは優しくささやく。
「きっと、これからもいろんな良いことがあるよ。何か大変なことがあれば半分は俺が背負う。だから、一人で背負わないで。ずっと、一緒にいよう」
 エリザが悲しそうな笑みを浮かべレラに問う。
「こんなホラーの穢れを受け、ドラゴンの恨みを買うような女でも良いんですか?」
「それって大変なことだろう? だから、一緒に持ってあげる。例え世界の全てがエリザのことを責めても俺はエリザの横でお手伝いするよ。エリザの重荷を少しでも減らせるように」
 その言葉にエリザは泣き笑いのような顔をして一言。
「愛していますよ、レラ」
 そう言ってエリザはレラと唇を重ね……。

 翌朝の早朝。ベッドではレラが幸せそうな顔をして眠っている。エリザは少ない荷物を静かにまとめ、レラから取り返した<鱗の書>をその中に入れる。
「愛しています……だからこそ、ここにいられません……もう、会わない方が良いんでしょうね」
 そう呟くとエリザは静かに部屋を後にした。自らの目的を果たすために。
 そのしばらく後、レラの悲鳴が宿屋にこだまする。
「エリザがいない!」
 その言葉に跳ね起きる仲間達。そして、レラの声に導かれるようにエリザの部屋に集結する。
 そこを見てクラグが忌々しそうに舌打ちする。
「傷が癒えるのを待っていたという訳か……やられた。レラ、<鱗の書>は!?」
 そこで、自分の体をまさぐる、レラ。
「……ない」
「全て、計画通りという所か……どうせ、今から追っても追いつけないだろうな。何かの事件を起こした時に駆けつけるしかないか」
 ユーリは憮然とした表情で沈黙を守る。セティが中空で腕を組み、ぼそりと呟く。
「……自分を信じるなと言うような潔癖な女性が……どれ程自分を傷つけるつもりなんじゃ」
 ノエルが憮然と言う。
「裏切られちゃったね。次にあった時には、もう絶対にこんなことはさせない」
「……そうだな。どっちのためにもならないからな」
 目に見えて落ち込んでいるレラに向かって、ミューは何かを思い出したように声をかける。
「ところでレラ」
 下を向き涙を流しながらレラは言葉を返す。
「なーにぃ、あにきぃぃぃ」
「こんな早朝にエリザさんの部屋でお前は何をしていたんだ?」
 ビクリとするレラ。
「あ、あさのあいさつかなぁ」
 その言葉にノエルの柳眉が跳ね上がる。
「……まさか、レラがなにかしたからエリザさんが怒って何処かに行ったんじゃないだろうね!?」
 周囲に視線を泳がせるレラ。その行為は逃げ道を探しているようにしか見えない。
「そ、そんなことしないよ!」
 言葉とは裏腹に逃げ道を探し脱兎のごとくレラが駆け出す。
 とっさに追おうとするノエル。だが、男性陣は特に動こうとしない。
「追わないの?」
「飯の時間になれば戻ってくるだろうし、いらんだろう」
「レラがエリザさんに無理強いできるとはおもえんしの」
「ま、なんかあったのは事実だろうがな」
「追いかけても仕方ないよ」
 その言葉にノエルは肩をすくめる。一瞬沈思し、口を開く。
「そうだね。私はもう少し寝るよ」
 ミューはノエルの横に並び自然に肩に手を置き、ノエルに優しく囁きかける。
「そうだな、添い寝を……」
 ノエルの鉄拳がミューの顔面に突き刺さりミューは撃沈する。
「お・や・す・み」
 かくして、一つの事件が終わり、新たな事件の種が蒔かれた。英雄達が呪われし<鱗の書>と再会する日はさほど遠くは無かろう。
 だが、今は一度舞台の幕を閉じ一時の休息を与えようではないか。気高き英雄達に。