あるアデプトの旅立ち

 一人の赤ん坊をがらがらがあやしている。そう、がらがらが自分の意志で動いてるかのように子供をあやしているのだ。世間では奇異に映るであろうし、気の弱いモノなら逃げ出してしまうだろう。しかし、生まれたばかりの赤子にとって、それは当然の光景であり、慌てる必要もない、それどころか至極楽しい光景ですらある。それを示すかのように赤子はキャッキャと楽しそうに笑っている。此の状況をアストラルから見ればそのがらがらになにかしら霊体が宿っていることに気がつくだろう。もちろん、此の赤子が使役しているわけではない。そんなおりに玄関の方から声が聞こえてきた。
「ただいま♪」
 明るい女性の声と
「ただいま」
 渋く、重みのある男性の声。おそらく此の赤子の両親であろう。二人とも色白の肌をしたヒューマンで整った顔立ちをしている。母親の方は声が現すとおり至極楽しそうな微笑みを浮かべている。その反面、男性の方は、此の世の全てを達観したようなおだやかな顔立ちをしている、しかし、その瞳は世界を強く睨み付けるような鋭さがある。その為に人によっては冷たい顔立ちをと映ることもあるだろう。更に彼の特筆する特徴として首に数十個の宝石でできたネックレスをつけている。それだけで一財産になるだろう。そのネックレスは奇妙なことに古い宝石と新しい宝石が混ざり合って作られている。そして、それよりも、印象に残るは、両手一杯の袋を持っていることだ。
「可愛いユーディー、ご機嫌いかが?」
 ユーディーと呼ばれた、赤子は嬉しそうに手足をバタバタさせている。満足そうにうなずくと彼女はがらがらに話しかける。
「スティン、ご苦労様。今日はいたずらしてないのね」
 すると、がらがらが文字通り口を開く。そうあり得ないはずの口が、がらがらの真ん中に開き返事をする。
「ふん、俺でもこんな可愛い赤ん坊に手を出したりしねぇよ。さすがに寝覚めわりーからな」
 その言葉に苦笑する二人。そして、今度は男の方が、やっと荷物を置き終わり口を開く。
「ありがとう。しばらくは我々が家にいるからゆっくり休んでくれ」
 その言葉にがらがら――スティンは笑っているつもりなのか口の端を吊り上げて話す。「こう言うことならいつでも歓迎だぜ。じゃあな」
 ことん、そんな軽い音を立てて、がらがらが地面に落ちた。
「世間では色々ひどい事言われるけど、こう言うときは便利よね」
 満ち足りた笑顔を浮かべながら夫に話しかける。
「そうだな。それに世間で言われているのは大部分は偏見だよ。この子がそんな偏見に苦しまされなければ良いんだがな」
「大丈夫よ、ケイン、あなたの子供だもの。物事の本質を見れるように育つわ」
 ケインも微笑み返しながら言葉を返した。
「それにマリア、君の子でもあるんだ。何があっても優しさを失わずに微笑み続ける人に育つだろうね」
 そういって、二人は微笑み合った。ユーディーが生まれて間もない頃のことである。

 一人の美少女が墓の中を走っている。恐らく10才を少し越えたぐらいだろう。白磁のような肌を桃色に火照らせ、長い黒髪を背後になびかせながら走っている。表情に切迫感は無い。何かから逃げていると言うよりも、誰かの元に急ぐために走っている、そんな印象がある。背には旅行用にも見える大きな背負い袋を背負っている。彼女は普段は近所の村に下宿している。広い世界を見て欲しいという両親の方針である。もし、子供の頃から異界魔術師としての教育を施せば確かに強力な術者と育つだろう。だが、そうなったときには、此の世界よりも異界に親近感を抱き、生者に意味を見いださず死者と親しむことになるだろう。確かに異界魔術師の中にその様なものも多い。だが、その様な者のために異界魔術師が偏見にさらされているのも事実である。彼には自分の娘に、そんな歪んだ人間に育っては欲しくなかった。彼らは異界魔術師が生と死、このどちらに重点を置いても行けないと考えていた。しかし、死と、異世界と親しむ異界魔術師にとって容易に死の比重が重くなる。それを避けるには生の重みを感じさせるしかない。その為にユーディーは普段は村で他の子供達と村の仕事を手伝ったり一緒に教育を受けたりしていた。村人としても自分たちの先祖の墓を護る一族であり、その中核は皆異界魔術師という一族からの依頼、しかも、その宗主たるケインの頼みをおいそれと断れない。最初はおそるおそる接していた村人達もユ-ディーの他人のことを思いやれる人柄と気持ちよい微笑みによって打ち解けていった。彼女にとってそんな生活が楽しくないわけではない。いや、同年代の子供と泥だらけになって転げ回ったり、歴史や言葉を学ぶのはひどく楽しい。だが、それでも、10才の少女である。両親が恋しいことに変わりない。そんな理由で彼女は走っている。
(あと少しだ!)
 その先にあるのは墓場の真ん中にあるのが、恐ろしく似合わない白い家だ。そう、それこそ丘の上に立ってるのが似つかわしいような家である。そこだけが周囲と雰囲気が違う。そんな家を目指して彼女はひたすら走り続ける。そして、到着。
「はぁはぁ、ただ、いま」
 元々体を動かすのは得意ではない。それなのに全力疾走をしたのだ。当然の結果である。そんなユーディーを両親達が満面の笑顔で向かえる。
「お帰りなさい、ユ-ディー、待っていたわよ」
「おかえり、良く帰ってきたね。そんなに走らなくても俺達は逃げたりしないよ」
「はぁはぁ、だって、早く逢い、たかった、から」
 その後の一家団欒、楽しそうに学校のことを語るユーディー、それを楽しそうに聞く二人。どこにでもある家族の風景。ただ、幾つか普通のもには奇異、いや驚愕するものがある。半透明の執事が食器を下げて行くところ。そして、それを見ても誰も慌てないこと。それどころか、彼にねぎらいの言葉すらかけているところ。そして、食後はその執事と共にお茶をすること、それさえ除けば良くある光景である。社会の追放者、異端の象徴、忌まれる死の使い手、そう自認する彼らにしては恐ろしく珍しいことである。多くの異界魔術師にとって家族すら自らを忌み嫌う他人にしかすぎない。そんな者達にとっては憧れの対象でしかないものがここにはあった。そんな、ゆったりとした、幸福な時間を過ごす中、夜は静かに更けていった。

 眼光の鋭い少女が、人によっては目つきが悪いと評されかねない少女が、目を閉じ瞑想をしている。それを、横で見る二人の男女。そう、16才になったユーディーと、その両親である。両親はユーディーに視点があっていない、それどころか、どこか虚ろな目をしている。見る者が見れば分かることだが二人の視点はアストラル界を見ている、それもユーディーの周囲のアストラル空間を。アストラル界とは、此の世界の裏側文字通り霊的な世界なのである。その世界では物質的なものに意味はなく魂、もちろん比喩的な表現ではあるが、だけが存在する領域である。かつては自由に行き来できたその領域も、いまではホラーがたむろする恐ろしく危険な場所となり、タレントや呪文などを使ってのぞき見ることしかできない。呪文のエネルギーも此の領域から引き出している。普通に呪文を使えばアストラル界に花火を打ち上げホラーを呼び寄せることになる。のぼりをつけた草食獣が肉食獣の群の中を歩くようなものだ。ゆえに、魔術師達はホラーの危険から安全に呪文を使うためのヴェールを創り出した。それは、マトリクスと呼ばれている。今ユーディーが瞑想しているのも自分のマトリクスを構築するためだ。それがなければ、いくら呪文を華麗に扱うことができようと長く生きることはできない、そう、少なくとも正気を保ったままでは。ユーディーの眉間に皺が寄る、苦悩、あるいは苦痛、そんな言葉が似合うような皺。そして、額に浮かぶ玉のような汗。そんな苦労するユーディーとは対照的に二人は娘を信頼しきった目で見ている。親ばか、と言われればそれまでである。だが、二人は私情を抜きにして娘を訓練してきた。その評価からしてもユーディーはやれる、そう確信していた。全てを相対化するという異界魔術師である、その評価に間違いはあるまい。もちろん、多少の私情が交じっているのは否定できないだろうが……。その時、ユーディーが堅く閉じていた瞳をスッと開いた。
「……できた」
 それをほぼ同時に確認した二人は満面の笑みを浮かべてユーディーを抱きしめた。ユーディーがアデプトとして認められた瞬間である。

 空気がおかしい。背筋がちりちりするような奇妙な気配。奇妙な圧迫感。普段身近に感じている異界の者の気配と似ていながらも、ひどく異質な気配。そんなものが周囲に満ちている。ユーディーがそんなことを感じ始めたとき両親が奥の部屋から出てきた。二人とも漆黒の闇を塗り込めたようなローブを羽織っている。かつて、二人に此のローブの事聞いたことがある。宵闇のローブと言う名の二枚で一対のローブである。本当に愛し合っている者同士で着れば、互いの力を共有できると聞く。二人は、かつてユーディーに、
「あなたが結婚すると時に、これをあげるわ。あたし達がこれを必要とすることももうないでしょうし」
 そう言った。その二人が今その強力な魔力のこもったローブを着ている。ただごとではない。そして、二人は多くのタリスマンを、杖を身につけている。ともに魔力のこめられた業物だ。二人が、高位の異界魔術師である二人が、全力で掛からなければどうにもならないことが起きているのだ。
「ねえ、何があったの?」切迫した声でユーディーが問う。
「お客さんだよ。遠い遠い異界からのね」口調とは裏腹に表情は硬い
 そのとき、ユーディーすっくと立ち上がった、決意に満ちた目で。
「あたしも行くわ。アデプトたる者、ホラーを放置するわけには行かないわ」
 その言葉を予想していたのか、マリアがユーディーの目を見つめながら言った。
「玉砕するのはアデプトの義務じゃないわ。あなたは全ての倫理観を相対化して見る必要のある道を選んだのよ。自分の命を守りなさい」
 しばしの沈黙。ユーディーが再び口を開く。
「……そう、私は生と死が等価値な道を選んだ。だから、死を恐れる必要はないわ」
 静かに目配せする二人。満足感に満ちた目にも、娘の悲壮感を悲しむかのようにも見える目を二人はかわした。
「そう。じゃあ、仕方ないわ。ヘンリーいらっしゃい」
 その言葉に答えるように、半透明の執事を努めていた霊が現れる。
「どうなさいましたか?」
「ユーディーを安全な場所まで連れていって」
「……かしこまりました。お嬢様と一緒にお二人が戻るのをお待ちしております」
「ちょっ……」
 ユーディーが文句を言おうとした瞬間、ケインの瞳が緑色の炎を灯す。ギン。そんな音がしたかのような錯覚。ユーディーは恐怖の余り、動きが取れない。そして、マリアが呪文を解き放つ。ユーディーの周りに闇が満ちる。その視界の隅で血抱がはじけたように感じた。恐らく両親は自らの血を触媒として持続時間を伸ばしたのだろう。そして、闇の向こうから声。
「勘違いしないでね。あなたのことを愛してないわけじゃないのよ」
「そうだ、お前がついて来てくれると言うのは嬉しいが、自分の娘を殺すのは気が進まない」
「そうね、あたし達はまだまだ異界魔術師としての鍛錬が足りないみたいね」ふっと、微笑
「時間さえあれば世界の深奥を見極めたかったが、いたしかあるまい」
「そうね、ユーディーも言うようにアデプトの責務ですもんね」
「じゃあ、ヘンリー頼むよ。俺達の宝石を護ってやってくれ」
「……かしこまりました。ただ御二方も、自己犠牲のヒロイズムなどに酔わないようにお願いいたします。お嬢様の面倒を見るにはわたくしでは役不足ですので」
「わかっているさ」
「そう、ヒロイズムによったりはしないわ。ただ必要なことをするだけよ」
 その時、家の半分が砕け散った。鳴動する空気。気の弱い者なら世界の終わりかと思うだろう。
「行こう」
「ええ」
 移動する闇。ヘンリーに抱えられながら、恐怖に耐えながらユーディーは戦闘の場から連れ出されていく。高サークルの異界魔術師といえどもスレッドを編む暇がなければ無力である。そう言ったのは二人である。しかし、今二人は、二人だけでホラーに挑もうとしている。
「俺がヤツを縛る。その間、頼む」
 縛る……父は本来自分には扱えない呪文を扱おうとしている。自分の未来とここでの勝利を天秤に掛け、勝利に天秤が傾いているのだ。そう、ユーディーは思った。
「御任せなさい、あなたには指一本触れさせないわ」
 ユーディーが耳にしたのはそこまでだ。そこからは、破砕音と、なにかの呻き、そんな音しか聞こえなかった。そして、永遠とも思えるような時間がたち、突然ユーディーに掛かっていた呪文が消え失せた。可能性は二つ、両親が呪文を解いたか……
 ユーディーは蘇った視界を丹念に見る。二人の姿は……ない。立ち上がり、全力で走る。家で感じた圧迫感は薄まっている。
(そうだ、二人がホラーを倒したんだ。今はきっと二人とも疲れていて動けないんだ。あの二人がやられるわけがない。英雄は常に勝つ定めにあるんだ)
 そんな事をエンドレスに考え、自らを励ましながら走り続ける。そして、目に見えたのは、腐った大地と淀んだ空気だった。二人の姿もホラーの姿もどこにもない。そんな中をはいずりまわって二人を捜すユーディー。体にまとわりつく腐臭も絡みつく大地も今の彼女には関係ない。ただ、求めるは両親の無事な姿のみ。泥まみれになりながら、涙で顔を汚しながら、二人を捜す。そんなユーディーを嘲笑うかのように、何も見つからない。静寂をかき乱しユーディーは探し続ける。絶望に支配されそうになる。そんなとき、異質な硬いものが指に触れる。そちらに目をやる。そこにあるのは一つのタリスマン。母のつけていたタリスマンだ。呆然としながら、手を伸ばしそれを掴む。その瞬間、タリスマンは満足したのか、砂のように崩れ落ちた。その時ユーディーは二人を感じた様な気がした。そして、ユーディーは声を上げて泣いた。
 数時間後、死者のような顔をしたユーディーは、ふらふらと村の方へと歩いていた。せめて、体を休めないと、冷静な理性がすり切れた感情を抑え込んでそう命じていた。友人達ならしばしの休息を自分にくれるだろう。そう、無意識的に考え歩いていた。そこでふっと、意識が途切れた。
 翌日、気がつくと汚れていない服を着てベッドに眠っていた。となりにはかつてともに学んだ友人が一人。彼女は開口一番こういった。
「目が覚めたなら、早く出ていって頂戴」
 ユーディーには言ってることが理解できない。彼女は親友ではなかったか。相手の苦痛を自らの苦痛と考えてくれる相手ではなかったか……
「ホラーに汚されているかもしれない人を泊めたくはなかったけど……あなたはぼろぼろだったから」
 ユーディーの理性は納得した。そうか、自分はすでにホラーと同じものとみられているのか、と。だが、感情が認めることを拒否する。ホラーと関わりがあるかもしれない。それだけのことではないか、と。
「あたしまで、ホラーと関わってるなんて疑いをかけられたらたまらないわ」
 そこまで言われて、やっとユーディーは口を開いた。
「……そう……よね。迷惑……よね」
 ふらふらと体を起こす。彼女が泣きそうな顔をしながら背負い袋を渡す。
「ええ、だから、お願いだから、早く出ていって」
 袋はずしりと重い。必要なものや着替えも入れてくれたのだろう。きっと、友情とホラーへの嫌悪感のせめぎ合いの末の結果なのだろう。
「ありがとう」
 そう一言言うと、ユーディは歩き出した。周囲の人間の目が痛い。皆自分を蔑むか、恐れるか、どちらかのように感じられる。自分に懐いていた子供が不思議そうな顔をしている。だが、その子はすぐに母親の手によって家に連れ戻された。彼女は子供の世話をしたことを喜んでいなかったか。だが、もうどうでもいいことだ。
 ユーディーはふと思った。そうか、これが異界魔術師の扱われる本来の態度なのか、と。今までの自分は恵まれていたのだと気付いた。そして、偏見に満ちた人々を少し哀れに思った。この人達には、自分の見ている視点や、新たなる発見を生涯得ることはないのだ。だが、この時のユーディには、どちらが幸せなのか断言することはできなかった。
 こうして、彼女は旅だった。世界に。新たなる知見を得るために。