懐旧の酒

2073年 UCAS シアトル エバレット地区
そこは戦場であった。
無数の高層ビルはまるで巨大な存在に蹂躙されたように倒れ伏している。
その上空を航空自衛隊の戦闘機が、足下には陸上自衛隊の戦車部隊が悲壮な決戦に挑むべく行進をしている。
倒れ伏したビル群には多数の男女が思い思いに腰掛けアルコールや食事を楽しんでいる。
ここはエバレット地区の古参に入るナイトスポットであるザラバースバー。
店内は20世紀の怪獣映画で壊滅した東京をイメージしており椅子や机は全て倒壊した建築物である。
怪獣こそいないがAR表示される自衛隊にはファンも多い。
そんな店で時計を気にしながら1人のヒューマン男性が杯を傾けていた。
年の頃は50代半ば。髪は白くなり、顔にはこれまでの苦労を表す深い皺が刻まれている。
だが、その身を包むスーツや装飾品からすると苦労は充分に報われているのだろう。
この店はエバレット地区でそれなりのスポットではあるがエグゼクが1人で来るのが相応しいかと問われれば明らかに不自然だ。
そもそも、エバレット地区はバーレーンでこそないがクラッシュ2.0により登記情報が失われた土地でありホームレスの楽園だ。
昼ならまだしも夜の治安は決して良くはない。
まだ宵の口とは言えそんなエリアで白髪の老紳士は静かに杯を重ねる。
「すまんな、遅くなって」
声をかけたのは初老の日系ヒューマンだ。
彼の身につけているものもかなり高価なものだ。
「かまいませんよ。こちらは気ままな現場稼業ですから、時間は融通が効きます。」
紳士はそんな軽口を叩きながらにメニューが表示されるようにコムリンクを操作する。。
「久し振りに来たが今は店の前にゴジラのドローンを置いてるのだな」
メニューをくりながら老人が告げる。
老紳士はドローンに気がつかなかったのか、小首を傾げて口を開く。
「私は気づきませんでしたね。そうそう最近はカリフォルニア産の清酒もだいぶ飲めるものになってきましたよ」
「ほう。それは一度吟味せねばならんな」
苦笑しつつ老紳士がコムリンクを操り冷酒をオーダーする。
ほどなくしてドローンが銚子とグラスを運んでくる。
竜を模した紋様の入った切り子硝子のグラスに酒を注ぎ静かに打ち合わせる。
一息に飲み干す。
「確かに飲める代物にはなっているな」
「昔のアルコール入り砂糖水ではなくなっているでしょう」
杯を干せば直ぐに注ぎ、銚子が空になればすぐにオーダーする。
安酒のようにオーダーしているが本物の米を醸した酒だ。高級なワインと同じほどの金額で販売されている。
もちろん、日本帝国の名杜氏と呼ばれる人間が作った酒はほとんど流通しておらず金で買えるだけましなのではあるが。
「さて」
カリフォルニア酒の様々な銘柄を都合一升程空けた辺りで老紳士が居住まいを正す。
「何かありましたかね」
老人はしばしグラスの底を答えを探るように覗いた後に顔を上げ口を開く。
「何も・・・何もない。ただ相談はある」
怪訝な顔をしつつも老紳士は無言で先を促す。
「シアワセに来るつもりはないか」
半ば予想していたのか老紳士は静かに言葉を返す。
「ありがたい話ではありますが」
老人は断りの言葉半ばで手をあげ制す。
「わかっている。わかっているがその上で頼んでいるんだ」
依頼のような懇願のような切実な雰囲気すらある。
「もう渕が解体されてから10年以上経った。ヴェイラーのお守りはもう十分だろう」
「お守りのつもりはありませんよ。ただ私のプロジェクトの大半はノバテックに移管された。それだけです」
事実を淡々と告げるような感情を抑えた声音で言葉を返す。
「今の帝国は未曽有の状態にある。皇后陛下と協調してシアワセを制圧した以上シアワセと帝国の運命は一蓮托生だ」
何かに耐えるようにじっと老紳士は耳を傾ける。
「ワシも今はCEOに収まったがこのまま平穏には進むまい。泳ぎ切るために清濁あわせ飲める信頼できる腹心が必要なんだ」
時間を稼ぐように老紳士はグラスを傾ける。
「山名さんには渕時代から付き従う子飼いがいるじゃないですか」
冗談めかした回答を山名は一刀のもとに斬り伏せる。
「わしに従ってきたのは利に聡い連中ばかりさ。気骨のあるのは皆ノバテックに流れたさ」
「認めていただけるのはありがたいですが」
「もう帝国への忠誠は擦り切れたと言うわけか」
落胆とも怒りともつかない感情に突き動かされ山名が吐き捨てる。
ただ、静かに老紳士は言葉を返す。
「我々渕のメンバーの忠誠心は未だに帝国とともにあります」
二人の視線が絡み合う。
「ですが外にいるからこそ出来ることはあるはずです」
怒りも諦観も無くただ強い意志を持って告げる。
「ですので、シアワセへの移動は勘弁してください」
苦笑しながら老紳士は告げる。
「仕方あるまいな。まあヴェイラーに愛想が尽きたらいつでも連絡をくれ」
「解りました。皇后陛下にお伝えください。渕は未だに帝国とともにあると」
「伝えておこう。さて、次は何にする」
「そうですね、魔法で醸したティルワインなどどうですかね」
山名は微笑むとすぐにオーダーを通した。
この戦友達の夜はまだまだ長いようだ。


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