2077年、日本帝国、神戸スプロール 空は抜けるように高く、雲一つない。 世界的に大気汚染は進行しているはずだが、震災を期に精霊主導の復興を掲げメガコーポを抑えてきた成果か日本帝国の大気汚染は減少傾向にある。 もちろん、大気汚染を必要とせずに生産を進める技術が進歩したことも無縁ではない。 そんな気持ちの良い青空の下、黒檀色の肌をしたエルフが盛大な溜め息をついていた。 「残高やばいなぁ」 ARに口座残高を表示して買い物の算段をしていたらしい。 強いウェーブのかかった漆黒の髪をすきながらそんなことを呟く。 「今月はとりあえず惑乱のところに転がりこむか、あるいは身体を売るか」 女性の顔立ちは整っており、その四肢は引き締まっている。 エルフにしてはメリハリのついた体型も含めだいたいは美人と認めるだろう。 服装も最新デザインのアーマージャケットに身を包み、両手首にはアンティークなアンクレットを着けている。 彼女の名前はティター。それなりに名の売れたストリートメイジである。 そんな彼女の景気が悪いのには理由がある。 彼女を特に信頼して仕事を回してくれていた前の職場の先輩と飲み仲間の景気が悪いのだ。 先輩はアレスのブラックオプチームを幾つか指揮する立場にあるジョンソンだが、今のアレスは状態が悪い。 数年前に出したリコールによるシェアの低下は深刻である。 そして、アレス創業者の息子であるアウレリウスジュニアの死は様々な分野での展開に暗い影を落としている。 挙げ句の果てにアレスが駆除を表明している昆虫精霊達も組織的な反抗に出ており対策費用も馬鹿にならない。 必然的にアレスからのランはリスクに対してリターンは減少してしまい、生活に対して影響が出ることになる。 飲み仲間は渡田連合系の山口組の若頭補佐だ。 2075年頃にかけて行われたドラゴン達の壮絶な内輪もめの影響を最も強く受けた組織の1つが三合会とヤクザだ。 中華連合に本拠地を置くグレートドラゴン嵐(ラン)と日本帝国に本拠地をおくグレートドラゴン竜冥(りゅうみょう)は第四世界から続く不倶戴天の仲である。 彼らは先の戦いでライバルの子飼い組織を叩き潰すように配下に激を飛ばした。 これにより世界中でヤクザと三合会の熾烈な抗争が展開されることになった。 神戸スプロールでも例外ではなくヤクザと三合会の抗争はあった。 ただ、土地柄ヤクザが圧倒的にアドバンテージを持ち抗争は激化しないかに見えた。 だが、このきな臭い状況を嗅ぎつけた神戸市警は間髪入れず手入れを大々的に行った。 この背景には嵐により提供された山口組の内部資料があったとも言われている。 これにより山口組の勢力も大きく殺がれ必然的に仕事はしょっぱいものか抜き差しならぬものに限定される。 ティターも名の売れたランナーである。不景気が一年ぐらいであればやり過ごしていく仕込みはしている。 しかし、それが3年以上続くとなるとなかなかに厳しい状態とならざるを得ない。 そんな苦労が先程の溜め息に込められていたわけだ。 決して1960年物のアイリッシュウイスキーに大枚をはたいたのが原因ではないと、ティターは自分への言い訳に決着をつける。 そんな自己欺瞞を行うティターの視界にオークの少年が道端で座り込む姿が写り込む。 身なりは悪くない。 だが、纏う雰囲気は絶望と表現するのがふさわしい。 日本帝国のメタ差別は今生帝になりかなり緩和されたとは言え未だ根深い。 柄の悪いのに絡まれ警察も来ない。その可能性もある。 ティターは集中しアンクレットがオーラを放つ。一見何の変化もない。 そしてティターはおもむろに少年と目線を合わせ声をかける。 「何やってるの?」 少年の視点がティターにあう前の一瞬の間。 「・・・困ってる」 ティターはエルフ特有の長い耳を少し引っ張りながら呆れたように口を開く。 「そう見えるわ、確かに」 少年は話は終わったとばかりに口をつぐむ。 背後でシアワセ電鉄三ノ宮駅より吐き出された大量の乗客が歩き去っていく。 ティターは少し考えてから少年の手を取る。 少年は不思議そうな顔でその手を見つめる。 「お昼おごったげるから来なさいよ」 ティターは傍らにある100%国産大豆と書かれた寿司屋に向けて顎をしゃくりながら少年を立たせる。 「でも」 逡巡する少年。普通に考えて詐欺か美人局だ。ついて行く方がおかしい。 「何かあると寝覚め悪いし。後暇だからお昼食べながら何で困ってるのか教えなさいよ」 意味もなく口をパクパクさせる少年。 「どうしょうもないから座り込んでたんでしょ。状況は変わらなくてもお昼代が浮くしいいじゃない」 ムチャクチャな理屈だと思いながら、少年はついていこうとしている自分に気づいた。 「じゃあ、ご馳走になります」 少年は悪魔は黒い肌で美人だと聞いたなとふと思いながらティターに手を引かれて歩き出した。 店内にはARで「無添加100国産大豆」という言葉や大豆や魚のキャラクターが踊っている。 そして、ARナビとしてそのキャラクターの一体が決まり文句を口にし席に案内する。 マトリックスプロトコルが刷新される以前はしばしばキャラクターが改竄されたり、いきなりトイレに案内されたりといったハッカーのイタズラもよくあったが最近はほとんど無くなった。 友人のハッカーに言わせると人生に潤いが無くなったらしいが、コムリンクの仕組みが今一つ理解できないティターからすると企業法廷の謳う人類のための新プロトコルと言う言葉を不覚にも信じかけてしまう。 席へ進み、AR上にポップアップした支払い承認を選択するとオーダーボックスがポップアップする。 「好き嫌いある?」 「え、あ、いえ、大丈夫です」 「じゃあ盛り合わせでいっか」 適当にオーダーを行うティター。 見かけ上は様々な食材を使用した寿司が卓上に並ぶ。 もちろん、全て大豆食品による合成食材だ。 無言で箸を進める二人。 AR上で虚ろに音楽が流れる。 ひとしきり食事をした後にティターが口を開く。 「で、何があったの?」 しばし、醤油皿を眺めた後にオーク少年は口を開く。 「両親が行方不明になりました。部屋も荒らされていなくて監視カメラに歩いて出て行く姿が映っていたから警察からは事件性はないと言われました」 射抜くような目で少年を見ながらティターはただ話を聞く。 「でも自分から何も言わずに姿を隠すっか信じられなくて」 腕を組み黙考。 「探したげようか?」 不思議そうにティターを見上げる少年。 「見つかるか解んないけど探したげようか」 「お金無いですよ。」 ニヤリと笑うティター。それは義侠心から子供を助けようとしている慈母よりも獲物を見つけた肉食獣を彷彿とさせる笑みだ。 ビクリと震える少年。 「ただで良いわよ。暇だし」 スッと手を差し出す。 悪魔は魅力的な言葉で人を誘惑する。 そんなこと思いながら、少年はティターの手を取り告げた。 「ぜひ、よろしくお願いします」 「契約成立ね。じゃあ行きましょうか」 そして、ティターは勢い良く立ち上がった。 JIS 神戸スプロール 三宮地区 オークの少年、竹田誠の家にやってきた二人。 住まいは三ノ宮近傍のマンションだ。 銃声がすれば5分で警察が飛んでくる高治安地区だ。 力付くで拉致するのは難しい。 室内に入りティターはじっとアストラルの痕跡を探す。 いかに隠蔽されても強い感情の残滓は残るものだ。 「恐怖かなぁ。でもヘッドケースでも恐怖はあるし」 横では誠がビルのシステムにアクセスし監視カメラのデータを呼び出す。 そして両親が映っている前後一時間を切り出してティターのコムリンクに送信する。 データを確認してコール。 「惑乱、ひまなら少し解析して頂戴。とりあえず、改竄されてるかだの確認だけでいいわ」 最近は人生に潤いがないとぼやく友人のハッカーだ。 「全く唐突だな」 ぼやきながらも律儀に解析を進める辺りに二人の関係性が垣間見える。 「うーん、いい仕事だが、改竄の痕跡はあるな。」 唇に指を当て考えこむティター。 「復元もできなくはないが、そいつは有料だ」 にべも無く言い放つ惑乱。 「多分大丈夫。必要になったらまたお願いするわ」 「あいよ。儲け話待ってるぜ」 矢継ぎ早に別の相手をコールするティター。 「はい、深山です」 相手は実直そうな刑事だ。 「おひさ。今いい?」 ティターは名乗りもしないがいつもなのか相手も気にしない。 「おう、どうした。仕事はないぞ」 「やーねー、市民の義務としてお巡りさんに教えたい事があるだけよ」 もちろん、彼女は税金など払っていない。 「まあ、聞くが、何も話せないかもしれないぞ」 悪戯っぽく笑うとティターは話し始める。 「今日三ノ宮駅近くに住むORCの幹部が自発的に姿を眩ましたらしいわ。 監視カメラの映像を見ると夢遊病のような足取りだからヘッドケース風の事件よね」 ヘッドケースとは最近流行している奇病CFDの罹患者を示すスラングだ。 別人格になり致命的な事故を起こしたり、心神喪失状態になったりする。 「ところがこのカメラの映像は改竄されていて、誰かがヘッドケースと見せかけて誘拐した疑いが出てきたわけ」 深山は話の流れに不穏な気配を感じる。 「このご時世だからORCの幹部が消えたら原理的なヒューマニスを疑うと思うけどその兆候がない」 ティターの目がさながら獲物をいたぶる猫のように輝く。 「もしかすると、これを放置すると愛する神戸市警が汚名を被ってしまうかもしれない。そう危惧してる訳よ。」 深山は頬をかき口を開く。 「つまり、担当したうちの刑事が誘拐に関与しているか、あえて証拠を見逃している可能性があると?」 我が意を得たりと笑みを深くするティター。 「可能性の話だけどね。今なら優秀なメイジが専任で裏取りできるけど、いかがかしら?」 腕を組み悩む深山。 「もちろん、必要なければ興味がありそうなORCに持ちかけるけど?」 つまらなさそうに耳を引っ張るティター。 深く息を吐く、深山。 「課長ですか?三ノ宮のヤマの件で。ええ個人的な友人が。オカルト探偵みたいな奴でして。5000で大丈夫ですかね。ありがとうございます。で、5000でどうだ?」 ティターはにやり。 「オカルト探偵がリサーチするには充分ね、リサーチするには」 深山は天を仰ぐ。 「危険手当ては別途つけるし、仮にもヘッドケースでも支払う。どうだ?」 「悪くないわね。すぐに対応するわ。一応担当の刑事の個人情報を頂戴」 何かを操作する深山。メールの到着をポップアップするティターのコムリンク。 「オッケー! 朗報を待って頂戴」 口笛を吹きそうな風情のティターに、ポカンとした顔の誠。 「えっと」 何が解らないのかも解らなければ状況も見えない、そんな顔だ。 「つまり、悪い奴とお巡りさんが仲間かもしれなくて、良いお巡りさんに手伝いを頼んだの」 誠に理解が広がる。 「時間の勝負だけど、ご両親助けれるかもしれないわよ」 ティターはニヤリと猛禽の ように笑う。 JIS 神戸スプロールシアワセ電鉄 岡本駅 三ノ宮が神戸スプロールの中心なら岡本は神戸スプロールの宝石だ。 閑静な高級住宅街で20世紀並の治安が維持されている。 このために駅から降りるだけでSIN認証が必要になる。 ゆえにティターは駅の構内にあるショップでコーヒー片手にパンをかじっている。 待ち合わせだ。 本来はもう少しいい場所で打ち合わせをしたいが何せ今回は時間がない。 誠の両親が“事故死”するまえに蹴りをつけたい。 そんなことをつらつら考えながらメールを打っていたティターに声をかける男性が1人。 「ティター待たせたな」 慌てて立ち上がり満面の笑顔を浮かべるティター。 「忙しいところを無理言ってごめんなさいね。コーヒーでいいかしら」 かいがいしく準備をする。 「ああ、ありがとう、コーヒー貰うわ。」 コーヒーを受け取る男性。 男性の厚みのある肉体はスポーツ選手か格闘家を彷彿とさせる。 だがそれ以上に印象的なのは柔和な笑みを浮かべているにも関わらず底冷えするような瞳だ。 男性は神戸スプロール一帯を地盤とするヤクザ、山口組の若頭補佐だ。 山口組は渡田連合に連なるヤクザで任侠に比較的近しい昔ながらのヤクザだ。 「で、急な用事はなんや」 うまそうにコーヒーをすすりながら尋ねる。 「ちょっとしたフッティングでヒューマニスを追ってるの」 「ヒューマニスなぁ。うちにも近い考え方のぎょうさんおるからな」 ドーナツをパクリと食べる。見かけによらず甘党らしい。 「別に壊滅とかそういう話ではなく個人的な人助け何です。一組の夫婦を助けたいだけでしてね」 「まあ、頼みぐらいは聞くわ。できることと、できんことあるけど」 一枚の写真を出すティター。 「こちらは今回の件に関わっていらっしゃる神戸市警の・・・」 「永山さんやろ、よう知ってるわ。うちらと彼らは表裏に別れてるけどこの街を守るために動いとる。彼に迷惑かけることはできへんで」 「もちろんです。永山さんには今回の捜査で余計な疑いがかけられています。今のうちに旗幟をはっきりされた方が良いのではないかと思うのです」 じっと目を見つめるティター。 「ティターに協力することによってか」 「もちろんご自身の手で蹴りをつけていただいても結構ですが大変かと思いますので」 腕を組み目を閉じる。 「解った。話は進めよ。でも、えらい入れ込みようやな、フッティングって柄ちゃうやろ」 苦笑いをしながらティターは告げる。 「誘拐されたご夫婦の息子さんが昔の自分に見えたんですよ。そしたら、ついね」 「可愛いとこあるやん。ええやろ本腰いれて手伝うわ」 「ありがとうございます。」 JIS 神戸スプロール 北野地区 ヤクザの三原から程なくしてデータが届く。 大東亜共栄圏復興連合。それは今回の事件を担当していた刑事が深い繋がりのあるヒューマニス組織だ。 組織の構成員は自分たちはヒューマニスなどではなく往年の日本の栄光を取り返すために活動していると語るだろう。 だが、そのために穢れたメタヒューマンを排除し覇権政治を目指している。 覇権政治はロビー活動の領分だがメタヒューマン弾圧は簡単にできる。 結果的に日常的な活動はヒューマニスと大差がなくなる寸法だ。 その拠点が北野にある。 北のは大正時代の建築が未だに残る美観地区だ。 観光地であり高セキュリティー地区となる。銃声を響かせれば1分もすれば建物は包囲されるだろう。 神戸市警の深山から人員救助のための追加報酬をせしめ、ヤクザの三原経由で建物内部の構造とスパイダー権限まで手に入れている。 この施設には専任のスパイダーはおらず、警備はローンスターに外部委託をしている。 つまりは警報さえならさなければ警備員は飛んでこない。 ティターは呪文で反射神経を増幅させ、更に外見を呪文で日本人ヒューマンにする。 黒檀のような自慢の肌の色を変えるのは好みではないが贅沢は言えない。 自分の偽造SINに会員のIDを発行し正面から堂々と侵入する。 警備員も関東のメンバーであるというカバーIDに疑いを持つこともなく問題なく侵入。 コンタクトに館内地図を投影しながら来慣れた顔で歩みを進める。 捕まっている場所が中核メンバーが関係していると当たりをつけ所在をマップにマークする。 最悪荒事も覚悟した上での侵入。 裏口から入れる部屋で幹部の入室ログのある部屋を目指す。 スパイダー権限を持つティターには鍵など意味をなさない。 目的の部屋には予想通りオークの男女が意識を失っていた。 精霊を呼び出し二人を運ばせる。 そして建物から出ればロボタクを捕まえすぐに病院を目指す。 その間に大東亜共栄圏復興連合のデータベースから抜き出した誘拐に関するデータを2人のコムリンクにコピーする。 この資料を手ぐすね引いて待っている神戸市警は直ちに捜査に乗り出し、組織を解散に追い込むことだろう。 誘拐された2人は自力で脱出したという形になる。 ランナーの介入などなかったわけだ。 少年は両親を失わずに済み、ティターは小銭を稼いだ。 これにて一件落着。三面記事を賑わすよくある事件に過ぎない。 ただまあ、翌月ティターは三ノ宮で誠に出会い感謝を雨霰とぶつけられて、あわつくことになるのだが。 |