ヤクザ

ヤクザはテキ屋と博徒のふたつを源流に持っています。
シャドウランではテキ屋は行商人として扱われ、それらが縄張りを持っていくことで勢力を持ち組織化して行ったものとして扱われています。
テキ屋は1970年には完全に合法的な存在として認められ親分はサムライに次ぐ地位として姓を名乗ることを認められ、その資金により芸術家の後援や金貸しなどを行い小規模な職人組合や商組合を吸収していきます。
彼らはその資金を下に傭兵を雇い入れ護衛として使っていました。

そして、テキ屋には以下の3つの掟があります。
親分に忠実でなければならい。 
仲間の秘密を明かしてはならない。
他のメンバーの配偶者に手を出してはいけない。

3番目に関しては行商人としてさまざまな場所を渡り歩くことによる掟のようです。

博徒は戦国時代の大名の下で地域の賭場や娼館の経営で富を築き、江戸時代の参勤交代の際の移動およびその際の金の動きにより広域化、統合化されていった。
この過程で仲間同士や領主との間で暗黙の取り決めが生まれていき、それに反したものは指詰めを求められた。

この歴史的な二大勢力が時の流れと共に合流し様々な掟を統合してきたのが現代のヤクザである。

また、7人のサムライ的なルーツがヤクザにあると考え地元と密接に繋がり地域の守護者として考えるヤクザもおり、彼らは任侠団地と呼ばれる。
そういったヤクザの創始者は有名な戦士である。

その後ヤクザは順調に経済組織として成長していきます。
ところが1900年代になると解体されたサムライ組織の位置を押さえ軍閥化していきます。そして労働組合や無政府主義者を取り込みながら国粋主義者として影響力を増していきます。第二次世界大戦の開戦に伴いヤクザは良質な兵士の供給源として参戦していきます。
戦後敗戦により軍隊は解体されますが、帰還兵の扱いや勢力を増大するロシアへの対抗に戦勝国たるアメリカは頭を悩まします。この対策としてヤクザを用いての帰還兵の吸収と対共産主義戦線の構築を決定します。

この結果旧帝国軍の士官はヤクザの親分となり国家の防衛に従事します。
戦後シャブの力でバブル経済に突入した日本の経済成長に合わせて資金力を増大させてヤクザは日本企業と共に世界に進出し様々な不動産を確保し資金源を確保します。
ところがバブル崩壊により日本の影響力は落ちましたがヤクザはスーツに見を包み世界経済に身を投じたのでした。

ところが2050年になり八大メガコーポのうち5社は日系企業であり、日本帝国軍の強大化により反ヤクザ法律の成立によりヤクザは表舞台を降りることになります。

ところが日系メガコーポの影響力が落ちていく中ヤクザは影響力を保持しリング・オブ・ファイアにより日本が大損害を受けた際に被害者に最初に物資を調達し届けたのはヤクザであり未だに彼らはヒーローなのです。

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